野良イモリ博士のblog

社会人学生野良イモリが大学のことや考えていることを発信します。

博士課程に行くために 何よりも目標が大事(社会人学生経験談)

社会人学生として過ごす日々も,あと少しになります。

僕の経験談として,社会人学生として博士課程へ進学しようとする際に必要となることを整理します。

結論から言うと,何よりも目標が大切だと思います。

 不安が大きい

 博士課程(博士後期課程)に進学することへの不安は,概ね下記の通りでした。

  • 経済的不安
  • 修了の可否と,その後への不安
  • 精神的な負担

 これらの問題への克服が必要です。

経済的不安

 僕の場合,学部生時代と修士課程生時代に奨学金を借りていました。

 奨学金という名の借金です。

 学部生時代は第2種(利子付き),修士課程生時代は第1種(利子なし)の奨学金を,それぞれ400万円借りていました。返済額が800万円の予定でした。そこで博士後期課程でまた奨学金を借りると,1000万円を超えるだろうという予想が立ちました。まず額が大きいので,これだけで不安になります。

 加えて,博士後期課程を最短で修了しても27歳になります。その時点から普通の新卒としての就業は難しいと思いました。そもそも就業できるのだろうか,という不安もありました。雇用情勢がどう変化するかは予想がつきません。本当に27歳で修了できるとも限らない状況で,1000万円以上もの奨学金を返済できるだろうか。不安しかありませんでした。

 そういう経緯で,僕は社会人学生として,自分でお金を稼ぎ,学費も自分ですべて賄える状態になってから進学しようという決意をしました。

 

修了できないかもしれない

 博士後期課程はそもそも修了できないかもしれません。

 研究室訪問に行った際に,修了できずに終わる人がいるという話や,博士論文の審査を受けるための論文をそろえられるかどうかといったことに対する不安もありました。そして僕自身,修了できずに終わる人を見てきました。

 就職して間もないころ,電車に乗っているとき,偶然にも学部生時代の同級生で博士課程に進学した人とばったり遭遇しました。彼女曰く,

「研究者を目指してがんばってきたけど,自分は出来が悪いから,あかんかった。」

ということで,博士課程をあきらめ,退学するつもりだという話をしました。大学に入学した時点で研究者を目指している人でしたが,そんな人でもあきらめるほど厳しかったんだなと思いました。

 入学後も,入学が同じ年度(前期入学)の学生も博士論文審査を経ることなく,退学しました。いわゆる,単位取得満期退学というやつです。その方は退学後,就業したのですが,うちの大学では退学後1年以内でないと,課程博士としての審査を受けることができません。1年以上経過した現在でも審査を受けていないので,もう彼女が課程博士として博士号を取得することは,ありません。

 同じタイミングに入学した方(後期入学)も,今現在,博士論文の審査を受けていません。在学はしているので,おそらく休学しているのでしょう。僕自身はその方と入試の時にしかお会いしていませんが,僕でもまる6年かかっているので,今現在取得していないということは,厳しいかもしれない,とも思います。

 博士後期課程は,入学したら必ず修了できるとは限りません。本人が努力していても,上記の事例のようにかなわないことがあります。自分も修了できるとは限らないのです。

 加えて,その後も不安でした。修了できるかどうかそもそもわからないし,学位を取得したとしても研究職に就くことが難しいかもしれないのです。

 

それでも,目標があったから

 これだけ負の要素があるにもかかわらず,なぜ入学したのだろうかと思うと,明確な目標があったからです。

 卒論をきっかけとして,僕は情報を発信できる立場の人間になりたいと思うようになりました。むろん,それはyoutuberのような発信者ではなく,メディアでもありません。だれもが覆すことができない客観的な情報をもとに,提案ができる人材になりたいと思っていました。

 それには客観性を自分自身が身に着けることが必要です。聞いてもらえるだけの立場も必要です。それらは,修士課程を修了した時点の自分ではとてもできないことだと思いました。博士号を取得できるほどの能力が必要だと思ったし,少なくともそういった情報を話す立場になるためには研究をする必要があり,そのためには博士号を取得する必要があると思ったのです。

 諦めたら,そこで終わりです。

 諦めて後悔するよりも,チャレンジしようと思いました。だから,飛び込むことにしたのです。できるかどうかわかりませんでしたが,限界までチャレンジしようと思ったのです。

 

仲間の存在が大きかったのかもしれない

 社会人学生なので頻繁に大学に行くことができるわけではなく,研究室では僕一人ということが多かったです。研究そのものは一人作業でしたが,同級生に博士課程へ進学していた人が多かったので,あの人もがんばっている,だから自分も頑張らないと,という思いを持っていました。

 なかなか研究が進まないこともあったし,滞ったこともありました。それでもやってこれたのは,過去の仲間の存在がどこか心の中にあったからだと思いました。

 

研究室と先生

 僕は修士課程と博士課程では違う大学に進学しています。

 博士号を取得したいなら,あまりこういうことはしない方がいいと思います。博士で研究室を変える,特に僕のように分野が変わると大変です。修士のころから博士号を狙って動いていくのがベストだと思います。

 ただ,僕の場合,現在の研究室の先生は,修士課程の学生だったころ,とある研究会に出向いたときに知り合った先生だったので,知っている人でした。それが安心でした。全く知らない先生のところだったら,ここまでできていないと思いました。

 

結論

 これは博士課程に限りませんが,結局は何を目標にして博士課程に行くかです。

 単に,学位をとって箔をつけたい,というようなレベルの目標ではだめだと思います。進学することに明確な目標があるのなら,その目標に向かって突き進めば,たとえどんな形であっても,進学したことは無駄にならないし,そもそも無駄にすることはないと思います。誰もが過去のことを大切にしながら生きていきます。修了してから,きっと学生としてやってきたことは常に大切にしながら生きていくはずです。人間は,そういうものだと思います。

 だから,明確な目標があれば,それだけでいいと思いました。

 

 経済的な事情はどうにもしがたいです。だからこそ僕は社会人学生になりました。仕事との両立は難しいし,僕の場合,博士号取得者はまずいない職場でしたし,研究系の職業でもないので,理解もされませんでした。無駄な努力をしている残念な人くらいに思っていた人もひょっとするといたのかもしれません。

 前の前の上司にはこういわれました。

「それだけやる能力があるのなら,その能力を仕事にも生かしてほしい。」

 タイミングもあります。何か正体のわからない,見えざる力が働いているような感覚になるようなときもありました。いつでもできるというものでもありません。

 それでもくじけずにやってこれたのは,やはり目標があったからだと思います。

 

 もし,このブログを見ている方で進学を迷っている方がおられたら。僕からいえることは,明確な目標があるのなら,チャレンジした方がいいということです。進学したいという思いが芽生える時点で,進学する資格はあると思います。

 博士をめぐる状況はかなり良くありません。それは明確な事実だと思います。しかし,未来の自分が,取得するであろう学位,あるいはその過程における経験を無駄にすることは,きっとありません。挑戦したものにのみ,チャンスが与えられます。