7月上旬の状況についてです。
今は博士論文の本審査会と公聴会に向けた準備を進めています。していることは,超マルチタスク状態です。一言で大変です。
記録として日記に残します。
- していること
- 自分の問題-論理の飛躍-
- 時間がない!
- 今始まったことではないー社会人学生の宿命ー
- 効率化することが常に課題
- 問題は自分の論理性
- 予想はできていた
- 感じる博士号の重さ
- 修士とはレベルがはるかに違う
- この苦しみは誰にもわからない
していること
7月にすることは以下の通りです。
- 一つ目にタイトルの案を考えること
- 二つ目に博士論文の要旨を作ること
- 三つ目に博士論文の本文を作ること
- 四つ目に博士論文の公聴会で使うスライドを準備すること
- 五つ目に新たに文献調査の章を作るための調査をすること
この内,タイトル案については既に考えたので,今は博士論文要旨を作るということです。
自分の問題-論理の飛躍-
予備審査会についてはかなりボロボロでした。その原因として,結局,自分の論理性に問題があるんですよね。
情報の切り出し方が問題で、例えば結論に至るまでの考え方として1,2,3,4っていう筋道が立てられるとするならば,僕の情報の出し方というのは,1と4しか語ってないというような語り方になってるのです。スライドとして情報を切り出した時に,議論の飛躍が起こっているように見えるんです。
僕の癖として,議論の飛躍を起こすまいと、さらに説明を加えようとするんです。でも、その説明の中に不要なものが入っています。例えば,1と4の間に2と3という説明があればいいだけなのにも関わらず,変に情報を加えようとして1と4の間に5とか6とか7とかいう,関係のないと言うと言い過ぎですが,不要な情報まで入り込むので,聞き手を余計に混乱させるということが起こっています。
時間がない!
仕事をしながらしてるので,あまり時間を取ることもできないです。といっても,月あたり80時間~90時間ほど費やす日々が続いていますので,これでも全力です。時間に限りがあるので,思うように修正ができません。
することもすごくあるので短い時間でなるべく最大限の成果を出すっていうことを意識して行かないと終わりそうになるような感じです。時間の限りがすごく見えているのでとても大変な状況です。そこに仕事も土日に入ってきたりしているので時間なんてありません。
今始まったことではないー社会人学生の宿命ー
この状況というのは、考えようによっては今までもあった状況でした。決して今始まったことではありません。宿命ともいえるでしょう。
特に投稿論文の時がそうでした。自分が一から十まで全部をしようとしすぎたが故に余分に時間をかけてしまったところがあります。社会人学生で博士課程に言っていると,時間が尋常でないほどに足りない状況は避けがたいと僕個人は思います。
プラスな考え方をすれば,この博士論文の本文を作るという過程で無駄を省くということを自分が学習ですることができるという考え方もできます。
効率化することが常に課題
方法の問題ですね。どれだけ効率的にできるかということが常に課題になってきます。
例えば,受験勉強で言うならば,参考書を1ページから最後のページまで全部読み込んだ上で問題集をすれば,正答率は上がるかもしれません。
ただそれは参考書を一から最後のページまで全部読まなければならないと言う,とても膨大な時間を必要としている作業を含むわけで、その参考書の中にも実は自分が理解している箇所というのはあるわけです。だからそこをまた一から勉強していくっていうことは実は非効率です。それよりも,問題練習を先にして分からなかった問題についてのみ参考書に戻って,
「あ,こういうことなんだ。」
って納得する方法の方が,短い時間で多くの成果を出すという意味で効率的なんですよ。
論文についてもそういうことが言えます。
僕は,例えば「はじめに」のところから最後までっていう順序でやろうとするところがあります。そうすると,最初でつまずいてしまうと,そこで止まるんですよ。そうすると時間がなくなっていくので,後のところにも書ける時間が無くなり,結局出来は悪くなるしさらに非効率になるし,頭も回らなくなるしといった,非効率の循環が起こっていたところはあると思ってみました。
問題は自分の論理性
結論としていうと自分の中での論理構成の組み立て方っていうのが上手じゃないということです。上手じゃないから,より説明しようとするんですが,そこにいらない情報が加わるから,余計にややこしくなってごっちゃになるんですよ。
予想はできていた
7月がこういう状況になるっていう事は,ある意味,最初からある程度予想は出来てたんです。けど,ここまで大変だとは思ってなかったので,本当にやりきれるんだろうか・・・っていう気持ちになっています。
こんなタイミングでなんで土日に仕事が入ってくるねんとか思ってしまうんですが,きっとそれって本当はマイナス思考になっているだけで,本当はマイナスな要素ばかりでもないとは思うんですよ。そういうことはわかってても,忙しさがものすごいので,自分の気持ちも慰めてられないというような感じです。
感じる博士号の重さ
博士論文はやっぱり学位が学位なだけに,審査も厳しい。厳しいだけじゃなくって,その博士論文で発言することというのが,ものすごい重みを持ってるんだなっていうことが,今回の予備審査会からの一件でとても分かったような気がします。
博士を名乗る以上は,やはりそこで述べることというのには論理性が求められるということなんだと思うんです。特に博士論文を見るのが自分の専門分野の方ばかりというわけではなく,分野が違えば使う用語も異なってきますし,似たような言葉で全く違う意味を表すと言ったことも,分野の壁を越えると起こってきます。そこを理解した上で論理的に話ができるようになること。博士課程というのはこういう訓練をするための学校(と言うかステップ)なんだっていうことを感じるようにはなりました。
それほど重いのです。博士号は(そのわりに,取得してもあまり役に立たないというのはひどすぎる)。
博士課程ってこんなに大変なんだっていうことをすごく実感する機会にもなっています。
修士とはレベルがはるかに違う
修士課程の時はどうだったかって言うと,こんなに大変だった記憶がないんです。一応,形式的には修士論文要旨っていうのも作ってるし,事務手続きも博士ほど細くはないにしてもそれなりにはあったし。似たようなところは探せばあるんですが,要旨一つとってみてもこれだけ論理性の確認ということはしたことがないし,スライドで印象が決まってしまうのでスライドの中でいかに説明を短くしながらもその論理性は保つ大変さを実感するような作業まではしてなかった。修士と博士の違いというのはそこにある気がすごくしました。
博士課程の大変さの具体例として,投稿論文が大変というのも一つにはあります。博士論文という学位論文の形にするということも,もう一つの対を成す大変さの一つです。そういう部分で修士とは差があるんだなっていうことは感じています。
この苦しみは誰にもわからない
もう一つの悩みというのは,この状況を理解できる人が周りにほとんどいないということですね。
ましてや社会人学生を博士課程でするっていう状況そのものが稀なんですよ。博士課程の中では社会人学生ってわりかしいるんです。ただそれは博士課程という箱の中だけを見た世界の話で,世間を見渡すと博士課程を経験してる人なんてほとんどいないです。
だから,例えばこのくそ大変な時期に土日の仕事を振ってきたっていうことを職場に説明して,何か変えて欲しいみたいなことを求めるとしても,職場の人からするとそんな大変さもわからないんですよ。卒論の経験があればいいレベルの世界ですから。
それに,頼んできた側の人からすればその人の立場というのもあるのです。やっぱり休みの日ですし,休日は休日として過ごしたいといった意思は誰でも当然働くんですよ。それで僕に振って来るって言うこと自体は,まぁ自然といえば自然なんですよ。休日出勤というのが良いか悪いかは別として。
そうは言っても博士論文を書くっていう状況そのものに異常さがあるわけで,この状況で,この人は仕事が軽いのになんで自分はこんな重い仕事を持ってる状況に重ねて博士論文をやってるんだろっていう素朴な疑問は湧いてきますよね。
ただそれを周りの人に説明したかって分からないんですよ。そこに「もやもや」がありますね。こういう状況は今年に限らず今までもありましたけど,今年の大変さが本当に尋常じゃないので,余計にそんなことを思います。
以上,近況でした。