博士論文発表会の日から3週間が経過しました。状況が落ち着いてきたので,いろいろと考えられるようになりました。これは,今まで余裕がなかったということでしょうね。博士課程というものの存在がどれほど大きい存在だったのかというのがよくわかります。
私生活を崩して生まれた社会人学生という立場
社会人学生として過ごした期間,たくさんのものが犠牲になってきたと思っています。私生活を楽しむという状況ではなかったし,恋愛なんかもしていない。私生活という一面を見ると,荒んだ6年間だったと思います。それがようやく外れて,気が付けば僕も34です。入学した時点では28でした。時間がかかりすぎたな・・・と心底思います。これから恋愛とか結婚とか考えてると,なんか果てしない感じがします。40で子供ができたとしたら,子供が20の時僕は60になるので・・・。2人目とか考えるとぞっとします。そもそも,現段階ではできるかわかりませんが。
そう思うと,この6年間に払った犠牲というのはものすごく大きいような気がしてきました。おそらく,恋愛をしようという気が起らなかったのも,それだけ余裕がなかったということなんだと思います。そこまで余裕がないことにも気づいていませんでした。僕は基本的に,鈍感なので。
今回得られる博士号は,そんな大切な6年間を費やして得た学位です。これを,絶対に無駄にはしたくないという思いがますます強まっています。
環境的要素は重要
僕の研究内容については,まだここで明らかにするということは控えておこうと思いますが,簡単に言うと環境教育に及ぼす影響ついて,既往研究の成果から環境的要素と人為的要素の2つが考えられました。そこから,環境的要素と人為的要素の両方の側面から分析したというのが僕の博士論文研究です。
研究の中で,僕は環境的要素というのは人々の意識にはおそらく及ばないレベルだと思うのですが,まぎれもなく影響しており,実際には環境の設定というのはものすごく重要なんですよ。もちろん,人為的要素も重要なのですが。
そういう観点から,自分が身を置く環境もとても重要なんだと思うようになりました。今までは理想を追いかけていました。でも,そんな超人的なことを凡人である僕ができるわけがありません。
僕は今後,研究をメインで生きていきたいと思っています。だからこそ,研究ができる環境というのは選びたいと思っています。
少なくとも,僕は小学校教員をしながら研究をするなどということは理想論に過ぎないと思っています。したがって,これらを両立させる気は今後ありません。研究の方に舵を切っていこうと思っています。挑戦になりますが,少なくとも現状の延長は後悔するであろうということが確実に見えている以上,後悔することがわかっている選択肢を取る気はありません。
励まされた
けど,
「それは,それだけ打ち込んできたということじゃないか」
と言われたときは,すごく救われる思いでした。
僕がこんなに博士号を取得するために苦労する道を選んできたのには,未来の目標があったからです。決してなんとなくではやってないし,なんとなくでやっていけるほど博士課程の世界は甘くないです。
自分がやってきた小学校教員と博士後期課程の学生という身分は,おそらく普通はやりきれる両立ではありません。それをやりきったんだということは自信を持っていいんだと思うし,自信を持っていいんだと自分に言い聞かせたいです。
博士はスマートではないと思う
博士はスマートな生き方ではないと思います。
少なくとも,現状の日本では博士号を取得しても所得の高い職に就けるとは限りません。研究職に就業できるとも限りません。非常に非効率な選択肢です。
そんな中,博士課程に進学して,取得できるかわからない博士号を取りに行くという選択をとる以上,スマートな人間ではありません。
それでもやってきたのは目標としたいことがあるから。それ以上の何でもありません。ある人の言葉を借りるならば,僕の行くところに道なんかは,おそらくないんだと思う。けど,道がないからといって止まっていたら,進めないです。
きっと世の中の博士たちはそんな思いでいるんだと思います。
流されない
僕は頑固だと思うのです。人の話を聞いてないというか(耳に入ってないという意味ではなく,飲み込んでいないという意味で)。見た目は柔らかそうだと思いますが,考えていることの固さはすごいものだと自分で思います。けど,人の意見に流されやすいという相矛盾した性質も持ち合わせています。その違いは,自分の意見として確固たるものを持っているかどうかです。
おそらく周りからは「そんないばらの道,歩かない方がいい」と言われることでしょう。けど,その道が本当に茨かどうかはわからない。確かに茨かもしれない。けど,そこに躊躇していたら僕のしたいことはいつまでもできないまま終わってしまいます。だから,流されたくないと思っています。
新たなバランスを作る
これからしばらくの僕は,間違いなく岐路に立っていると思うのです。一つの節目が終わり,次の道をどうしようかと考える段階に来ています。それは,犠牲を払う代わりに大きなものを得たこの6年間を過ごした,社会人学生としての「バランス」を崩すタイミングが来たことを意味しています。
新たなバランスを作るということは,何かを捨てないといけないということです。
しばらくの間は考えることくらいしかできませんが,しっかり考え,道を作っていきたいと思います。