更新がご無沙汰になってしまいました。
今回はタイトルに表記の問題について,個人的な意見を申し上げます。
僕が何ら日本学術会議と関係があるわけでもなく,学術の世界において何かをしているわけでもないので,あくまでも個人的な意見である旨,ご容赦ください。
学問の自由を奪う?
任命拒否問題。
日本学術会議の会員になれないからといって研究に影響が出るわけではありません。
日本学術会議は内閣府の関連の特別の組織ですが,何か実権を握っているわけではありません。特段,学問の自由と関係しているものでもありません。したがって,任命拒否が学問の自由を奪うものであるという認識はありません。
僕個人は,学問の自由の制限というものではなく,「政府と意見の違う学者の意見は聞きませんよ」というサインのように見えました。
それに関して,一部の方がご指摘されている
「そもそも日本学術会議は内閣府の特別の組織なので,政府寄りの意見を持つ学者が集められるのは自然」
といった意見には異論ありません。内閣府の特別の組織について特段すごい知識があるわけではありませんが,現実的にはそうだろうなと思います。
ただ,そもそも民主主義ってただの多数決で数が多けりゃいいとかそういう次元の低い話なのか?という疑問はありますが今回の騒動とは別の話です。
仕事してない?
本当に仕事をしていないのか
日本学術会議に対して,このような指摘があります。
日本学術会議は,様々な提言をしています。僕も日本学術会議が述べていることを自分の博士論文の中で引用しました。したがって,仕事をしていない団体だといった主張に対しても異論があります。
提言,提案といったことはしているので,仕事をしていないという論調は違うと個人的には思っています。
答申を出していないのはなぜか
中には答申を出していないから仕事をしていないといった指摘もあるようですが,答申はそもそも政府の諮問があって,その答えとして出すものです。政府による諮問は2007年以降,一度も行われていないようなので,当然ながら答申はなくて当然です。
見方を変えれば,諮問をしない→答申が出ない→答申を出してないから不要だと論じるといった論理展開が矛盾しているので,そのような論理展開のほうに僕は違和感を感じました。
発信力に課題があることはうなづける
ただ,会長ご自身が「発信力がないのは課題」というようなことをおっしゃっていたようですが,それはそうだと思います。勧告などを行っていないことに,特段の理由はないそうなので。僕も正直,博士論文に手掛けるまでは日本学術会議について知りませんでした。
「そもそも,日本学術会議って何?」とお思いになられた方も大勢おられたんではないかと思います。怪しそうな名前ですが全く怪しい団体ではありません。
不要?
巷では日本学術会議不要論が唱えられていますが,少なくともこれだけで不要論を論じるには情報があまりにも不足しすぎていると思います。
もし日本学術会議が何か重要な役割を担っているとしたら,むしろ組織をつぶす選択が国民にとっては不利益だということになりますし,仮に重要な役割がなかったとしても,それをなしえる可能性を秘めているのだとしたら,不要という話にはなりません。しかし,これらの判断材料が存在しません。感覚で議論するのは危ういと思います。
民営化論議もありますが,現状の予算の額と資金源からして,民営化して大丈夫か?とは思います。国立大学法人のようにならないかと,不安を感じます。これは,博士をめぐる問題についても同じかもしれません。現状で,研究者が国の力なく資金を自力で獲得することはとても難しいと思います(というか,資金を自力で確保することが容易なのであれば,これだけ博士号取得者の問題は出ていないと思われます)。