野良イモリ博士のblog

社会人学生野良イモリが大学のことや考えていることを発信します。

学位論文(卒論・修論)、「中」の部分から部分から書こう

 この時期、おそらく卒業論文(以後、卒論)や修士論文(以後、修論)の本文作りに手がけている頃だと思います。したがってこんな記事を年末に書いてもあまり意味はないかと思うのですが、年末くらいしかまとまった時間も取れないので、書きます。

 卒論や修論といった学位論文では「はじめ」「中」「終わり」の「中」の部分から書くことになろうかと思います。そして、学位論文は文字数制限がないので、丁寧に書くことです。

 以下に記す内容は、基本的に、博士論文にも共通しています。

 

 国が出す文書を読んでもわかりにくいという方が多いと思います。それは、一文が4行や5行にまたがるような長文になっているからです。一文は、短くした方がわかりやすいです。

 

書き方、概略

 学位論文は概ね以下のような構成になっています。

 「はじめに」「総合考察」を章として立てるかどうかは、研究室によると思います。

第1章(はじめに のような章)

第2章(「中」の部分)

  • 方法
  • 結果
  • 考察
  • 第2章における結論

第3章(「中」)

  • 方法
  • 結果
  • 考察
  • 第3章における結論

第4章(総合考察、投稿論文では おわりに のような章)

 調査の内容や種類ごとに章が分かれるようなイメージです。一つの結論は一つの章としてまとめます。

「中」から書こう

 つい、上から順に「はじめに」から書いてしまいそうなところです。しかし、いきなり「はじめに」から書こうとしても書けないことが多いです。たとえ最初に書いたとしても、「中」の部分を書くうちに当初とは論理構成を変える必要性が出てしまい、結局書き直すことになりかねないです。したがって、筆者である自分が学位論文全体像を把握するために、「中」の部分から書きます。

方法は、丁寧に書く

 次に、「中」の部分について。

 方法では、単純にしたことや手順を丁寧に書きます。

 再現性の担保という意味で、書き漏れがないようにする必要があります。

図表を中心に構成する

 結果は、図表を中心に構成しましょう。図表と図表タイトルだけを見れば、何を言いたいのかが概ねわかるようなものが理想です。そして、どの図表からそのようなことを言っているのか、データの出自がわかるように明記しておきます。

 以下のような書き方になろうかと思います。

 「図1に示す通り、ーーー。」「ーーーしたところ、ーーーであった(図1)。」

 図表タイトルは重要です。いかにして端的に図表の言いたいことを言い表すかが大切です。

考察では、言い過ぎない。かといって、言わなすぎもダメ

 論理の飛躍に注意です。

 まずは一度書いてみて、後で「本当に誰がみてもそう言えるだろうか?」と自分の書いた文章を自分で疑問に持ちながら、文章を読み返して見ることです。

 得た情報というのは粒でしかありませんから、あまり一般的なことを言いすぎてはいけません。

 かといって、論理の飛躍を恐れるあまり言わなすぎになると、面白くない結論になります。

情報は一致させる

 同じ学位論文の中では、使う用語は統一しましょう。誰がみても納得するように書きます。だからこそ、論文では定義を大事にします。筆者にとっては同じような言葉でも、読み手からすると同じように思えないこともあります。それだけ使うことはには注意が必要です。

 次に、「方法」「結果」「考察」で書く情報は、全て繋がるようにしましょう。

 「方法」では出て来ないけど「結果」では出てくる、「結果」で書き忘れたのに「考察」には出てくる、などは論外ですので、注意しましょう。

 

 「中」の部分はこのような感じです。

 これが書けてからようやく、「初めに」を書くような雰囲気です。博士論文の場合は、投稿論文という形で既に「中」の部分が仕上がっています。したがって、上記の手順は投稿論文を出すときに済ませていることになります。博士論文の場合、基本的には、文言は変えない方が良いです。用語の統一を図るために文言を変える場合でも、上記のように言葉が変わると前提が大きく変わってくるので、慎重な変更が必要です。

僕が考える理想の生き方

 YouTubeでこんなのを見つけました


NIB news every.特集 東京大の研究者から漁師へ

 

 この方の生き方と僕が理想としていた生き方が似ていたので,今回はそれについてお話します。

 理想の生き方

 理想的には,自分が研究をしつつ,現場にもかかわっていて,講演をしたり,現場に対して直接的に助言ができるような立場の人間になることです。

 現場との接点は持っておきたいなというのが思いです。完全に研究者のみというのでは難しいと思っています。机上の空論に終わりかねないからです。

その背景

 現場の中でないのには理由があります。

 僕が研究をしたいと思った出発点は,現場への問題意識があったからです。

 変えたい,変えないといけないという思いを持ちつつ,そうできないのには時間がない,知見を蓄える余裕がないなど様々な課題があったことがわかりました。自分が現場人間として関係するだけでは,ほかの人がなしえなかったことを僕が特例的に解決できるはずはありません。

 そして,何かを発信し,それを聞いてもらうには,自分の出す情報の信ぴょう性が高くなければいけません。だからこそ,正しい情報を自分が集めることが必要で,sのためには博士号が必要だと考えていました。

 

お金の問題

 そのためには,それができるだけの立場とお金が必要です。少なくとも,すぐすぐ実現できるようなものではないのは確かです。

 そんな中で,その理想をついきゅうするためにどうするのか,難しい選択を迫られますね。

日本学術会議に絡む問題についての個人的意見

 更新がご無沙汰になってしまいました。

 今回はタイトルに表記の問題について,個人的な意見を申し上げます。

 僕が何ら日本学術会議と関係があるわけでもなく,学術の世界において何かをしているわけでもないので,あくまでも個人的な意見である旨,ご容赦ください。

 学問の自由を奪う?

 任命拒否問題。

 日本学術会議の会員になれないからといって研究に影響が出るわけではありません。

 日本学術会議内閣府の関連の特別の組織ですが,何か実権を握っているわけではありません。特段,学問の自由と関係しているものでもありません。したがって,任命拒否が学問の自由を奪うものであるという認識はありません。

 僕個人は,学問の自由の制限というものではなく,「政府と意見の違う学者の意見は聞きませんよ」というサインのように見えました。

 それに関して,一部の方がご指摘されている

「そもそも日本学術会議内閣府の特別の組織なので,政府寄りの意見を持つ学者が集められるのは自然」

 といった意見には異論ありません。内閣府の特別の組織について特段すごい知識があるわけではありませんが,現実的にはそうだろうなと思います。

 ただ,そもそも民主主義ってただの多数決で数が多けりゃいいとかそういう次元の低い話なのか?という疑問はありますが今回の騒動とは別の話です。

仕事してない?

本当に仕事をしていないのか

日本学術会議に対して,このような指摘があります。

 日本学術会議は,様々な提言をしています。僕も日本学術会議が述べていることを自分の博士論文の中で引用しました。したがって,仕事をしていない団体だといった主張に対しても異論があります。

  提言,提案といったことはしているので,仕事をしていないという論調は違うと個人的には思っています。

答申を出していないのはなぜか

 中には答申を出していないから仕事をしていないといった指摘もあるようですが,答申はそもそも政府の諮問があって,その答えとして出すものです。政府による諮問は2007年以降,一度も行われていないようなので,当然ながら答申はなくて当然です。

 見方を変えれば,諮問をしない→答申が出ない→答申を出してないから不要だと論じるといった論理展開が矛盾しているので,そのような論理展開のほうに僕は違和感を感じました。

発信力に課題があることはうなづける

 ただ,会長ご自身が「発信力がないのは課題」というようなことをおっしゃっていたようですが,それはそうだと思います。勧告などを行っていないことに,特段の理由はないそうなので。僕も正直,博士論文に手掛けるまでは日本学術会議について知りませんでした。

 「そもそも,日本学術会議って何?」とお思いになられた方も大勢おられたんではないかと思います。怪しそうな名前ですが全く怪しい団体ではありません。

不要?

 巷では日本学術会議不要論が唱えられていますが,少なくともこれだけで不要論を論じるには情報があまりにも不足しすぎていると思います。

 もし日本学術会議が何か重要な役割を担っているとしたら,むしろ組織をつぶす選択が国民にとっては不利益だということになりますし,仮に重要な役割がなかったとしても,それをなしえる可能性を秘めているのだとしたら,不要という話にはなりません。しかし,これらの判断材料が存在しません。感覚で議論するのは危ういと思います。

 民営化論議もありますが,現状の予算の額と資金源からして,民営化して大丈夫か?とは思います。国立大学法人のようにならないかと,不安を感じます。これは,博士をめぐる問題についても同じかもしれません。現状で,研究者が国の力なく資金を自力で獲得することはとても難しいと思います(というか,資金を自力で確保することが容易なのであれば,これだけ博士号取得者の問題は出ていないと思われます)。

今の正直な気持ち 博士号取得後

 博士号を取得して1週間が過ぎました。

 今のところの心境を書き留めておこうと思います。

実感は徐々に

 博士号を取得したんだという実感はまだそんなにありません。博士号を得たこと自体知っている人も少ないです。ごく一部の人のみが知っているというような状況ですね。でも,学位記授与式から1週間たって,だんだんとそれが夢ではなく現実のものになったんだというような感覚は持つようになりました。徐々に実感は出てくるのでしょう。

心境の変化

苦労をしたから

 博士号を得るのに,ものすごく苦労をしたと思っています。

 6年間もかけて,普通の人ではなしえないようなことをやった以上は,やはりそれを活用したいと思うものです。ただ,これまでの6年間を苦労と自ら評価したことからもお分かりいただけるように,今までしてきたことは今後,継続することは難しいです。

私生活が相当犠牲になるものと思っています。

現在の職業について

 最近思うのは,同じ現象を研究対象にするのでも,研究者と現場人間では目線が違うことです。今までは現場人間でした。そして,その現場のことを研究対象にしてきました。しかし,2017年に感じたように,現場のことを対象にしていても,路線がだんだんとずれてきました。今は,その「ずれたもの」の正体がわかったような気がしています。それは,目線の違いです。

 同じ現象を見るのでも,研究者としてみるのと現場人間として見るのではかなり違います。現在の僕は,どちらかといわずとも後者です。両方することは難しいという前提で考えたところ,じゃあどちらがしたいのか?と考えると,前者です。

 だからこそ,現在の職業は自分が得たいものとは明確に路線が違うという実感を持ちました。そしてそう思うと,現職になぜついたのだろう?とか,今まで考えてこなかったようなことを考えるようになっています。

後悔する

 そう思うと,現在は博士課程の学生という身分ももうないし,残り半年とはいえ,入学前と変わらない状況に戻ったことは確かなのです。これを残りの人生,ずっと続けるかと思うと,それはきっと後悔するだろうと思うようになりました。なぜ,研究の道を選ばなかったのだろうか,と・・・

今後のこと

 現在は10月1日です。世間が動き出す新年度まで,半年残っています。

 残り半年で,今後の自分の身の振りを考えないといけないなと思っています。

 今は,

  • 教員免許を活用して非常勤講師をしながら研究を続けるか
  • 任期制のポストでもいいのでなりふり構わず応募していく

の,どちらかの道を選ぶかなあと思っています。

 どのみち,研究の積み上げが必要になってくるでしょう。

 ただ,どちらも不安定なことには変わりないです。数年後にはまた考えるタイミングが来るだろうと思いますが,どちらにしても今のタイミングの決断も重要なことには間違いがないです。

 前に進んでいこうと思います。

学位記授与式を終えて

 学位記授与式がありました。

 博士号を授与されました。

あっという間に感じる

 2014年度の後期に入学して、6年。その間、いろいろあったのに、こうして終わってみると、あっという間に感じます。

 入学が6年前かと思うと随分時間がかかったなぁと思うのですが、当初から5年計画にしてたこともあり、作業としてはスローペースだったから、あまり長く感じなかったのかもしれません。

 昨日の学位記授与式を終えるまでは実感が湧かなかったんです。まだ続くんじゃないかという感じで。

 

 でも、学位記授与式が終わると、ああ、これで終わりなんだなぁ、と感じました。やると長いけど、終わるとあっという間ですね。

 

実感はない

 博士号を貰って、学位記もあるんですが、正直言って博士号を貰った実感はまだありません。どこか信じられない感じです。

 そして年度途中なので、今日から生活に特段の変化があるわけではありません。

 だからこそ、博士号があるだけの状態にしないためにも、これからの過ごし方は大事だと思うのです。

 博士号取得者ということを言えば、目立つと思います。しかし、自分よりも博士号のほうが目立っていると思います。

 

スタートラインに立った

 今はスタートラインに立ったイメージです。

 博士号が何かしてくれるわけではありません。

 今後自分がどういう生き方を選択し、何を積み重ねていくのか。そこが今の自分には求められています。今は博士号のほうが目立っていますが、いつしか博士号を活用して自分が何かを成し遂げていけるようになっていきたいです。

 

やってよかった博士課程

 博士課程に行ってよかったと思います。

 それは、学者になることが夢だったから。博士号を取得したということは、そこに一歩近づいたということです。

 今の自分の課題やこれからの方向性がある程度見えてきたので、今後の活動につなげたいと思っています。

大学院へ働きながら行くか,それとも休むか,退職するか【社会人学生を検討している方へ】

 先週は仕事の方がなかなかハードなスケジュールで,疲れ果ててしまいました。

 加えて,昨日にも予定が入ったので,かなり疲労しています。

 今回は社会人学生を検討されている方に,社会人学生をどういった形でやっていくかについて書こうと思います。

 結論から言いますが働きながらの在学は可能です。

 もっか勤務時間や仕事量との相談になります。

 社会人学生のメリットは経済的安定性です。そして,就業の不安を回避できることです。デメリットは,時間がないこと,忙しいことです。

 

長期履修学生制度

 社会人の場合は,長期履修学生制度を利用することができます。

 これは,入学した時点で,在学する予定の年数を標準修業年限よりも延ばすことができる制度です。留年とは違って,在学予定期間を延ばしても,支払う学費の総額は修士であれば2年,博士であれば3年(専攻によっては4年)間の学費のみで済みます。

 各年に支払う学費=標準修業年限の年数までの学費÷修業予定年数

 ただし,長期履修期間を短縮する場合はややこしいです。例えば5年計画で在学する予定で申請した後,早めに4年で修了できる見込みが立った場合,在学年数を短縮する手続きを取ります。したがって,審査の基準がやや難しくなる場合があります。単純に伸ばせばよいというものではありません。

 申請は入学時のみなので,何年計画にするかという相談を含めて,入学前に先生と相談しておく必要があります。

 

行く学校の種類による違い

大学院(修士

 通常の修業年限は2年。その倍の4年まで通うことができる場合が多いです。

 修士課程の場合は,授業がある程度あります。通常の場合ですと,30単位ほど取得すべき単位があるのですが,そのほとんどをM1で取得します。

 社会人を迎えている大学院の場合は夜間にも授業が一部開講されていることがありますが,すべてとは限りません。授業のために通学する場合があるということを想定する必要があります。単位をどれだけ取れそうかによって,何年計画で通うかを決める必要があります。

 研究については,修士で研究が重すぎて修了できなかったという話を僕は聞いたことがありません。

 

大学院(博士)

 標準修業年限は3年,医薬系は4年。在学可能期間はその倍の6年(医薬系は8年)ですが,その限りでない場合もあります。

 授業は少しありますがほとんど存在しないので問題にはならないと思います。研究成果を出せばよいので,ある意味修士課程よりはフレキシブルな在学ができます。

 ただし,オリジナリティを出し,かつ査読論文を複数通さないと学位が取れませんので,研究成果を出すことに関してはかなりシビアで,修了できずに終わる人も本当の話います。

 

大学院(専門職学位課程)

 修士課程がベースで,修士課程とは違って修論研究が存在しないものの,取得すべき単位数が多いです。単純に,授業にどれだけ通えるかといった話になってきます。

 

仕事はどうする?

仕事をしたまま在学する場合

収入面の問題はありません。ただし,時間的な問題が発生してきます。仕事に閑散期と繁忙期があると思いますが,大学のほうと忙しい時期が重なる場合があるので,そういう場合はしんどいです。

 僕の場合,この形態をとりました。今から思うと,よくもまああの鬼のようなスケジュールをやりきったなあと心底感心しますが,意外とやりきれるなあとも思いました。

 職場の理解も欠かせません。社会人学生だろうが何だろうが関係ない!といったスタンスの上司のもとでは,仕事も大学院も共倒れということになりかねません。ただ,あまり影響を出せないのも事実なので難しいところです。仕事量との関係やスケジュールのブッキング,時間のなさに悩むことになります。

転職する場合

 これはほかの社会人学生の方のブログで見たことがあるのですが,転職したがゆえに,転職先の環境になれるのに時間がかかったという場合もあるようです。転職先でうまくいくという保証はありません。しかし,転職先の方が労働条件や研究との関連を考慮した場合に条件が良くなる場合は,転職を考えることもありなのかなと思っています。

 少なくとも,学位を取得するとやはりその後,学位をどう生かしていこうという発想になっていくので,どっちみち転職はいずれ考えるものだと思っています。だから,転職の先取りと考えれば,ある意味良い選択肢なのかもしれません。ただ,研究との関係は考慮に入れた方が良いと思います。転職の乱発にもなりかねませんから。

休職する場合

 これは,副業がどの程度認められるのかが重要です。

 社会的立場はそのままで,仕事をしない=給料は入らないという形態が休職ですから,当然ながら社会保険料等はひかれ続ける,つまり給与明細をマイナスでもらうのです。生活費はかかり続けますから,貯金を切り崩さざるを得ないです。そこに学費もかかるんですから,相当なマイナスです。加えて,前年の収入は多いわけなので,学費免除も通りません(少なくとも初年度は)。休職もあまりしすぎると分限免職になりますからその点も要注意です。公務員の場合は自己啓発等休業,大学院修学休業といった休職制度がありますが,収支のバランスを考慮の上で選択する必要があります。副業は禁止されている場合が多いと思いますから,そこも要相談です。僕の場合は,代員の確保に困るなどの理由で拒否され続けました。難しいです。

 ただ休職してしまえば時間が確保できるので楽にはなると思います。

退職する場合

 休職とは違ってTAやRA,アルバイト等ができますから,短期的には休職するよりは経済的負担が軽い選択肢です。

 しかし,大学院を出た後の生き方も考慮の上で退職しないと,その後が大変だと思います。加えて,リスクマネージメントが重要だと思います。時間的都合はつけやすいですが,社会人学生のメリットが,職を確保する必要がないところにある以上,退職することはそのメリットを捨てる選択肢になるので,ストレートの学生が感じるような就業の不安と向き合いながら通学するような感じになると思います。年齢的なことも考えた方が良いです。そこをどう考えるかです。

 なお,完全な無職だと上記の長期履修学生制度は使えませんのでご注意ください。

 

 働きながら大学に行くことそのものがある意味無理があることです。2人分のことを1人でしようとしていることに等しいのです。無理がどこかには必ず出るので,それを肉体的な疲労,時間的なことに出すのか,それとも金銭的なことに出すのかという選択になるのだと思います。

これからも相いれない関係であるからこそ,未来を考える

来週,学位記授与式があります。

いよいよ,この時が来るんですね・・・

ということで,最近はこれからのことを考えています。

 

これからも相いれない関係であり続ける

 博士論文を作成する過程で,僕は論理性を鍛える必要がありました。というか,博士課程そのものがそういうものを鍛える場所だと思うのです。

 ですが,職場では論理性というより経験則などが生きてくるので,むしろ細かく細分化して考えるようなことがあだになっているようなところがあると思いました。

 だからこそ,マクロ的に見れば外れない研究と職場ですが,自分の動きというミクロな視点で見ればやはり相いれない関係でありつづけるんだなと思うようになりました。

 仮に今後も両方するということになれば,論理性を鍛えながら片方ではその論理性を崩すといったことを続けなければならないのです。

どちらの道を極めるのか

 研究をしていきたいです。

 そう思うと,研究で生きていく必要があります。

 研究を選んだ場合にネックになるのは,研究の業界を選ぶこと自体が安定性に欠けるということです。この点をどうするか,対策を立てる必要があります。

どんな生き方をしていくか

 今後の最悪の手段は,現在の職場に戻ることができるので,最悪の場合そうすることが考えられます。しかし,それはあくまでも最悪の手段です。

 とりあえず,収入をどうするのかといった課題がとても大きいので,そこをどうするか考えないといけません。そしていずれは研究で職を確保するために,研究を重ねていくことも欠かせません。そのためには,まず研究ができる,研究に時間を費やせる環境づくりが重要です。

強烈な違和感を感じる今日この頃

 こんばんは。9月になりましたね。

 博士課程は修了できることが決まり,博士号が取得できることになりました。

 一方,心境の変化があるので,今日はそれについて書いておこうと思います。

なんで今この仕事をしているんだろうか 

 このようなことを,最近思うようになりました。ふと相談に乗っていた時に,専門の話をしていると楽しいことに気が付きました。それがきっかけでした。博士号の取得が決まったタイミングでもあったので,余計に,でした。

 今僕がしているのは小学校の教員です。限りなく何でも屋さんに近いことをやってきました。それに何の疑いも持ってこなかったし,研修も私費を使ってどんどん受けてきました。

 これまで僕はわりと「前任者がいなくなって,後継を誰がするか困った」ポジションに行くことが多かったです。そういった理由で,専門のことは優先順位的に後回しにされることが多かったです。それは,おそらく「人を見渡したときに,何でもできそうな人物だ」という,僕と他者が比較されたときにされる評価が関係しているのだと思っています。だから,人選として間違っているとは思わないけれど,どの領域の仕事であっても関係なく任されるところがあるので,専門とは離れたオールマイティな人間に限りなく血がづいている気がしたんです。そういう現象が毎年起こるので,違和感が徐々に出てきたところもあったように思います。

 博士課程とこの職業は,最後まで相いれない関係でした。オールマイティが求められる業界なので,専門に特化することを良しとしない方もいたように思います。それでも僕はあくまでも人の印象に影響されることなく,やってきました。ただ,かけ離れてきたのも事実です。今までこんなことにも気が付かなかった(気づいてはいたけど,盲目的になっていた)のも,遅いのだろうかといったマイナスなことを思うようにもなりました。

 そして,最近になって仕事でも専門のことにも少し触れているのですが,やはり取り掛かっているときの勢いが違うのです。するっと難なくできるというか,専門分野の強みがここにあります。自分では何とも思っていませんが,ほかの人から評価された時,自分固有の能力だということを,すごく感じますね。だからこそ,僕の中でわいてきた思いがより強まるといったところです。

 したがって,この心境の変化というのは止めようがないものなのです。専門のことをしていたいと思うのが純粋な今の願望です。

 

予兆はあった

 今の職業と自分のしたいことがかけ離れていくような予感は,以前からしていました。ほぼ,研究が進んできた時期と一致します。

 2017年だったと思いますが,大学の先生の講演を聞いているときのことです。同僚が「何をしゃべってるか,全然わからなかった」と言っていたことがありました。僕は何とも思っていなかったので,自分とまわりがかなり違っていることに,その時気が付きました。そして,いつかこの業界から自分が離れる時が来るのだろうなという気がしていました。

 

戦略が必要

 博士号を生かした生き方をするには,戦略が必要です。

 少なくとも,実績が足りていないのが現状です。だからこそ,今後の環境選びというのは重要になってきます。具体的な案が練れていないので,そこをどうするのかが今の課題です。

博士号が取れます。正式決定しました

 学位論文の最終判定があり,無事,博士論文が通りましたので,博士号が正式に取得できることになりました。記念に,書いておこうと思います。

審査会,終わったんじゃないの?

 博士論文発表会の後に,審査会がありました。その時に審査は通っています。

 今回は,可否投票という正式な判定です。詳しくは,以下の記事を参照ください。

 博士号は学位規則に基づき,様々な手続きを必要としています。

 

www.noraimori.com

 

これまでの6年間の評価

 僕自身は,特段自分が優秀だとは思っていません。統計学や英語といった,学者として必要な知識を十分に持っているわけではないし,博士後期課程に入学する以前に大事にしてきたわけでもありません。英語力については高校の時が最もよかったのではないかと思います。研究計画にしても,よくここまで十分ではない状況の中で,博士号取得にまでこぎつけることができたな・・・と自分でも思います。自分が盲目的だった中で学位取得までこぎつけたのは,先生の導きがあったからです。自分の努力という要素もあると思いますが,それだけではありません。副査の先生にも丁寧にご指導いただきました。そういう要素がかなりあったように思います。

 自分としては,反省点が多々あります。在学初期に努力が不十分だったこと。それが6年もかかってしまった原因のようなところがあったこと。英語の勉強も不十分だったこと。すべてが遅い気がしています。

 しかし,研究能力を身に着けるという意味では,博士論文研究を通して,重要なポイントをひとつひとつ押さえることができたかなと思っています。そういう意味では,進学した目的を果たすことができたし,それに伴って学位を取得することができることはうれしく思います。

 加えて,社会人学生を貫くこと,即ち小学校の教員と博士後期課程の学生を兼ねるという信念を貫いたことについては,自分のこの6年間の生活を振り返れば,本当によくやってきたなと思います。全国を探せば小学校の教員が博士号を取った前例は存在するようですが,ほとんど例のない話だと思います。

 

たとえ学位を取得しても,有限の時間を活用することは変わらない

 発表会が終わってからこの4週間,久々にまとまった時間をとることができたので,考えを整理する考える機会になりました。そこで,時間の有限性に気が付きました。

 社会人学生でなくなるので,時間ができるような錯覚を起こしていました。理想的には,英語,統計学,調査手法の勉強といろいろ同時にしたいところです。しかし,現実に収入を得ながらそれだけの量の勉強をこなし,なおかつ今まで犠牲にしてきた私生活も大切にして,研究もするなどという理想的なことは不可能です。時間には限りがあります。だからこそ,優先順位をつけて,少しずつやる必要があります。

 そしてそれは自分の職業生活にも言うことができます。研究がしたい以上,これからは研究をしていける環境を選んでいきたいと思っています。具体的には,英語文献を読みたいので英語の優先順位は高いですが,それ以外については研究をする過程で身に着けていきたいです。

 

自分のことを控えず,アピールする

 今までは立場上のこともあり,自分のことをアピールしたり述べたりすることに対しては相当控えてきました。しかし,自分の存在や価値を示していかないことには,自分の行動や活動,そして信念が表になることはありません。これからはしっかり自分の活動や思いなどをアピールしていきたいと思っています。

間違いなく節目に来ている

 博士論文発表会の日から3週間が経過しました。状況が落ち着いてきたので,いろいろと考えられるようになりました。これは,今まで余裕がなかったということでしょうね。博士課程というものの存在がどれほど大きい存在だったのかというのがよくわかります。

 

私生活を崩して生まれた社会人学生という立場

 社会人学生として過ごした期間,たくさんのものが犠牲になってきたと思っています。私生活を楽しむという状況ではなかったし,恋愛なんかもしていない。私生活という一面を見ると,荒んだ6年間だったと思います。それがようやく外れて,気が付けば僕も34です。入学した時点では28でした。時間がかかりすぎたな・・・と心底思います。これから恋愛とか結婚とか考えてると,なんか果てしない感じがします。40で子供ができたとしたら,子供が20の時僕は60になるので・・・。2人目とか考えるとぞっとします。そもそも,現段階ではできるかわかりませんが。

 そう思うと,この6年間に払った犠牲というのはものすごく大きいような気がしてきました。おそらく,恋愛をしようという気が起らなかったのも,それだけ余裕がなかったということなんだと思います。そこまで余裕がないことにも気づいていませんでした。僕は基本的に,鈍感なので。

 今回得られる博士号は,そんな大切な6年間を費やして得た学位です。これを,絶対に無駄にはしたくないという思いがますます強まっています。

 

環境的要素は重要

 僕の研究内容については,まだここで明らかにするということは控えておこうと思いますが,簡単に言うと環境教育に及ぼす影響ついて,既往研究の成果から環境的要素と人為的要素の2つが考えられました。そこから,環境的要素と人為的要素の両方の側面から分析したというのが僕の博士論文研究です。

 研究の中で,僕は環境的要素というのは人々の意識にはおそらく及ばないレベルだと思うのですが,まぎれもなく影響しており,実際には環境の設定というのはものすごく重要なんですよ。もちろん,人為的要素も重要なのですが。

 そういう観点から,自分が身を置く環境もとても重要なんだと思うようになりました。今までは理想を追いかけていました。でも,そんな超人的なことを凡人である僕ができるわけがありません。

 僕は今後,研究をメインで生きていきたいと思っています。だからこそ,研究ができる環境というのは選びたいと思っています。

 少なくとも,僕は小学校教員をしながら研究をするなどということは理想論に過ぎないと思っています。したがって,これらを両立させる気は今後ありません。研究の方に舵を切っていこうと思っています。挑戦になりますが,少なくとも現状の延長は後悔するであろうということが確実に見えている以上,後悔することがわかっている選択肢を取る気はありません。

 

励まされた

 けど,

「それは,それだけ打ち込んできたということじゃないか」

と言われたときは,すごく救われる思いでした。

 僕がこんなに博士号を取得するために苦労する道を選んできたのには,未来の目標があったからです。決してなんとなくではやってないし,なんとなくでやっていけるほど博士課程の世界は甘くないです。

 自分がやってきた小学校教員と博士後期課程の学生という身分は,おそらく普通はやりきれる両立ではありません。それをやりきったんだということは自信を持っていいんだと思うし,自信を持っていいんだと自分に言い聞かせたいです。

 

博士はスマートではないと思う

 博士はスマートな生き方ではないと思います。

 少なくとも,現状の日本では博士号を取得しても所得の高い職に就けるとは限りません。研究職に就業できるとも限りません。非常に非効率な選択肢です。

 そんな中,博士課程に進学して,取得できるかわからない博士号を取りに行くという選択をとる以上,スマートな人間ではありません。

 それでもやってきたのは目標としたいことがあるから。それ以上の何でもありません。ある人の言葉を借りるならば,僕の行くところに道なんかは,おそらくないんだと思う。けど,道がないからといって止まっていたら,進めないです。

 きっと世の中の博士たちはそんな思いでいるんだと思います。

 

流されない

 僕は頑固だと思うのです。人の話を聞いてないというか(耳に入ってないという意味ではなく,飲み込んでいないという意味で)。見た目は柔らかそうだと思いますが,考えていることの固さはすごいものだと自分で思います。けど,人の意見に流されやすいという相矛盾した性質も持ち合わせています。その違いは,自分の意見として確固たるものを持っているかどうかです。

 おそらく周りからは「そんないばらの道,歩かない方がいい」と言われることでしょう。けど,その道が本当に茨かどうかはわからない。確かに茨かもしれない。けど,そこに躊躇していたら僕のしたいことはいつまでもできないまま終わってしまいます。だから,流されたくないと思っています。

 

新たなバランスを作る

 これからしばらくの僕は,間違いなく岐路に立っていると思うのです。一つの節目が終わり,次の道をどうしようかと考える段階に来ています。それは,犠牲を払う代わりに大きなものを得たこの6年間を過ごした,社会人学生としての「バランス」を崩すタイミングが来たことを意味しています。

 新たなバランスを作るということは,何かを捨てないといけないということです。

 しばらくの間は考えることくらいしかできませんが,しっかり考え,道を作っていきたいと思います。