野良イモリ博士のblog

社会人学生野良イモリが大学のことや考えていることを発信します。

やりすぎは,良くない。ー公聴会1週間前ー

 公聴会1週間前になりました。

 この4連休のおかげで,本文,要旨,スライド,スライドの原稿(以下,4つまとめて博士論文関係のこと,と書きます)と,大体のところまでは作成することができました。

 7月が全て終わったわけではありませんが,7月は自分の中で少しやりすぎた感があります。

 

 

4連休 詰め込んだ

 4連休はほとんど博士論文関係のことをしていました。

 20日に副査の先生にプレゼンを見ていただいたので,連休初日の23日はひたすら修正作業に打ち込んでいました。24日は朝からゼミがあったので,ゼミをしてから再び修正。24日あたりからだんだんとできだす兆しが見え始めて,昨日25日,一通りの作業を終えることができました。今日は,あらかじめ録音しておいた自分の発表を聞いて,スライドの修正をしていました。それと,残った本文の作業。さっきまで,外国の文献を読んでいました。

 一通り終わったので,ひとまず安心しています。

 

やりすぎた

 一方で,やりすぎたなと思っています。

 天気が悪いのもあるかもしれませんが,頭が痛いんです。そして疲れ目みたいになってる。吐き気も少しする。やりすぎましたね。無理はありません。今月の学習時間は,120時間を超えています。これはすごい数字で,1か月の労働時間に匹敵する時間を博士論文に費やしていることになります。とんでもないことです。

 寝つきも悪くなってきたので,疲れをためすぎないようにしないといけません。

 今週の記録です。

 7月20日 8時間45分

 7月21日 2時間47分

 7月22日 5時間13分

 7月23日 5時間1分

 7月24日 7時間50分

 7月25日 7時間5分

 7月26日 4時間15分

 えげつない記録です。今週だけで40時間56分。

 

来週の見通し

 公聴会前,最後の週になります。やることを整理しておこうと思います。

  • スライド,原稿の確認
  • 海外の文献を読む
  • 質疑応答のための準備

 質疑応答の準備が優先度としては高いような気がします。コツコツやらないといけません。

 来週は,やりすぎないようにほどほどにしたいと思います。

博士論文の草稿の流れー修士論文と比較してー

 公聴会まであと2週間を切りました。

 個人的には,コロナの状況が悪化しつつあるような気がしているので,公聴会を行うことができるのか,心配でいます。

 ちなみに前期修了する人の人数が少ないためか(博士課程は後期修了でも少ないのですが),修士論文発表会と抱き合わせの博士論文発表会になる予定です。修士論文は発表15分,質疑応答5分。博士論文は発表30分,質疑応答10分です。扱いの違いがものすごいです。修士の方から発表なので,僕は2番目になります。

 10分の質疑応答の間にどんな質問が来るのか,ハラハラドキドキします。(質問への対応も考えておかなければなりませんね)

 

 博士論文のことって調べてもあまり情報が出てきません。そこで今回は,博士論文の草稿について,修士論文と比較ながらお話しようと思います。

 

 作る過程

 博士論文の草稿は,3月から始めました。8月で終わる予定です。博士論文の草稿を始めてから完成まで,6か月を費やすことになります。

 これが修士論文の場合,僕は1か月半ほどしかかけていませんので,学位論文に書ける労力は比較になりません。

 このような違いが出る要素は,いくつか考えることができます。

  1. 論展開の仕方が重要(査読論文を出すことによる違い)
  2. 論理性のチェック
  3. 要旨,スライドと言い方を一致させなければならない(博士論文予備審査会,副査の先生のご指導を経て内容が変化していく)

1.論展開の仕方が重要

 この作業は初期の段階でやります。

 博士論文という学位論文の中で,どのような章構成をして,どのような論展開にするのかということがとても重要になります。一つのストーリーを仕上げるようなイメージです。

 修士論文は査読論文を必要としません。査読に出している論文があっても,それが学位論文という形になることはありません。したがって,以下のような論展開を意識する必要もありません。極端な言い方をすれば,ただ書く,それだけ。

 博士論文の場合,査読論文をもとに構成するのが原則になりますので,2つの査読論文を束ねるような形で序章と最終章を展開する必要があります。

 例えば,2つの査読論文をもとにして博士論文を作成します。その2つの査読論文という「方法」「結果」「考察」は既にあるわけです。序章では,その2つの査読論文の「方法」を設定するに至った背景や展開を,論理的に展開しなければなりません。そして,最終章では,2つの査読論文を束ねる総合考察をする必要があります。序章に記載した目的が,最終章では果たされていなければなりません。

 「方法」「結果」「考察」という中間部分が既にある状態で,矛盾がないように展開しなければなりません。そして,「〇〇という課題はあったが私は調べなかった」ということでは通用しませんし,そういう指摘があった場合に,そこに着目しなかった理由が述べられないといけません(というか,口頭でそのような質問が来る時点でアウトのような気がします)。

 過不足も矛盾もない展開を考えることは,そう簡単ではありません。

 

2.論理性のチェックが重要

 章の展開が決まると,今度は本文の中の作業になります。

 章の中でも矛盾も過不足もない論展開を意識しなければなりません。もっとも気を付けるべきは,議論の飛躍です。

 これが非常に難しいです。やってみると,我々は普段,議論の飛躍を起こしまくっていることに気づきます。科学の世界では,議論の飛躍は許されません(誤った解を導くことになるため)。博士は,そういった論理的に科学を整理し,新たな知見を得ることができる人材ということなのだと僕は思っています。だからこそ,論理の展開を意識することは言うまでもなく重要です。

 修士論文では,このような作業はありません。というか,そこまで細かく見られることがありません。修士論文発表会

 

3.要旨,スライドと一致しなければならない(内容の変化への対応)

 卒論や修論の要旨は,はっきり言うとけっこう適当だと思います。しかも,何度も作り直すこともありません。つくりゃあ良いみたいなところがあります。だから,卒論や修論の段階では「スライドには書いてないけど要旨には書いた(だから質問せずに要旨を読んでよね)」なんていうことをする人もいます。博士論文ではそれはアウトです。情報が一致していないことがアウトです。もっと細かいことを言うと,言い方が変わるとニュアンスが変わるので,誤解される元にもなります。難しいです。

 博士論文の場合は,要旨は非常に重要です。要旨だけを見る人もいます。そういった人にも納得してもらわなければなりません。したがって,要旨の中に書いた課題や指摘は要旨の中で完結しなければならず,序論での課題設定→方法→結果→考察→結論→最終章の総合考察のいずれも欠けてはなりません。これを少ない文字数に要点だけ収めるのですから,大変さはなんとなく想像していただけると思います。

 それと,予備審査会や先生からの指導など,論展開そのものが都度変化することがあります。

 博士論文本文の情報=要旨の情報=スライドの情報

 といった状態にしておかなければならないので,いずれかが変わるということは残りのものも変化させる必要があるということです。

 修士論文の場合は,ここまで厳密に論理性がチェックされることがありませんので,そもそもこのような作業が必要ありません。

 

レベルの差がすごい

 このように書くと,修士論文にはなくて博士論文にあるものが多く,それが世間的に言われるレベルの差になっていると思いました。

 修士と博士のレベルの差はものすごいと思いますが,要求されるレベルがかなり違いますので,この差はやむを得ないと思います。しかし,博士後期課程への進学を念頭に置いている場合は,修士課程のころから博士号を念頭に置いた研究を行うことが欠かせないと思います。

博士課程は,えげつない。ー卒論,修論,博論のスケジュールを比較してみたー

 最近,博士課程はとてつもなく大変なところだなという実感を深めています。

 卒論や修論が軽いとは言いませんが,博士論文の審査は卒論や修論とは比にならないほど大変です。

 今回は,卒論・修論・博論のスケジュール感の違いから,博士課程の大変さについて検討します。

 

 

学位論文審査の大まかなスケジュール:卒論(卒業論文

  • 12月 卒論を書き始める
  • 1月上旬 卒論を完成させる
  • 1月下旬~2月上旬 卒論発表会

 卒論に関しては,このくらいです。

 卒論発表会のレジュメとして卒業論文の要旨を作成しますが,先生のチェックが1,2度入る程度で,それ以上のチェックはありませんでした。

 発表会については,卒論の段階では学生の数が多いので,一気に発表をやってしまいます。そのため,一人一人の論展開について逐一チェックされるようなこともありません。時間は15分程度でした。

 ただし,あまりにもひどい発表は叱られます。

学位論文審査の大まかなスケジュール:修論修士論文

  • 9月 題目届を出す
  • 12月 審査願を出す 
  • 12月 修論を書き始める
  • 1月上旬 修論を完成させる
  • 2月上旬 修論発表会

卒論と修論の違い

 修論修士論文)は卒論と比べると大変と言えば大変ですが,僕の実感だとさして変化はないです。感覚的には,卒論のその後の2年分という雰囲気です。卒論×2ではないです。

 卒論同様に,修士論文の要旨の作成がありました。ただ,これに力を入れることはほとんどありませんでした。修士は大学院生ですので,卒論の時と比べて学生の数がぐんと減りますが,それでも人数が多いので,一人一人の論理性をチェックされるようなことはありませんでした。

 発表会は25分程度の設定。質問のレベルが卒論よりやや上がりますが,僕の実感ではさほどではありません。普通にできていれば大丈夫です。

 そして,卒論にはない「題目届」「審査願」といった書類があります。この時に要旨も出す必要がありますが,お飾り程度の手続きです。

学位論文審査の大まかなスケジュール:博士論文(博論)

 僕の場合,前期修了のスケジュールなので,時期が半年前倒しになります。その前提でお話します。後期修了のスケジュールは,以下のスケジュールから単純に半年後です。

  • 3月 博士論文本文を書き始める。
  • 5月 スライドを作成し始める。
  • 5月下旬 仮申請のため,副査の先生にスライドを見ていただく
  • 5月下旬~仮申請まで 提出書類の準備をする
  • 6月上旬 仮申請(本文,要旨,書類を提出)
  • 6月上旬~下旬 スライドの修正をする
  • 6月下旬 予備審査会がある
  • 6月下旬~本申請まで 提出書類の準備をする
  • 7月上旬 本申請(本文,要旨,書類を提出)
  • 7月上旬~審査まで 本文,スライド,要旨を修正する
  • 8月上旬 公聴会(博論発表会)

 こう書くと,どれだけ多いかがお分かりいただけるかと思います。

修論と博論の違い

 最も大きいのは論理性のチェックです。そのため,スライド,要旨,本文と何度もチェックをします。予備審査会はとても厳しいので,ここで高評価を得るということは難しいと思います。

 膨大な時間を要する作業なので,相当な時間を要します。そして,それをやるには目標,決意が欠かせないと思います。決して,なんとなくやっていける分量ではありません。査読論文の審査にかかる時も地獄のように厳しいですし,学位論文審査を受けられずに退学する人も3割ほどいますので,ここまでして学位を取れない可能性もあるという,すごい選択肢だということはできると思います。

かつてない速さで修正をするために

 こんばんは。

 とても大変な生活をしていますが,大変な状況も3か月目になるので,慣れてきました。それでもこの7月は大変です。

 今日ゼミがあったのですが,自分の癖がよくわかってきたので,それについて書き記しておこうと思います。博士論文の審査についても触れようと思います。

 

 

議論の飛躍のメカニズム

 これはある程度,誰でもそうだということができるかもしれません。

 僕の場合,他分野の修士課程から進学しています。僕の職業から見ても,今の大学は僕の職業とは他分野だと言っても差し支えありません。そういった背景があるので,自分は知っているけど周りの人は知らないといった状況は頻繁にあります。

 僕は,自分が知っていることは相手も知っている前提で話を進めるようなところがあります。他分野だからこそ,「根底の部分だ」と自分が思っている部分から,実は伝わっていないということがよくあるのです。

 そして,自分が事情を知っているがゆえに,たとえば1から4へと情報を飛ばすということをします。自分はそれでも理解しています。自分の頭の中で,無意識に1と4の間には2と3という情報があるのだと勝手に解釈をしているのです。

 しかし,他分野の型から見ると1と4の情報をいきなり提示されていては,2と3という情報を飛ばしているがゆえに,議論の飛躍を起こしていると指摘されるのです。

 僕がよく起こす議論の飛躍というのが,こういうところに原因があることがわかりました。

 思い起こすと,博士後期課程に入学した当初は,そういった説明に苦労していました。今苦労していないのは,年数がたって理解されてきたからで,問題の本質が解決されているからではありません。再び新しい人物と話をするとなると,おそらく同じことが起こると思います。

 ある意味,自分がしっかりした情報の提示をできていると思っているのは,ほぼ思い込みに近いので,知っている分野だからこそ,文字情報に書き起こして,本当にそう言えるのかをチェックする必要があるように感じます。何も知らない前提で見るということが必要です。

 

情報の提示のしかたの問題

 

 これも議論の飛躍を似たようなメカニズムを持っています。

 議論の飛躍を起こす(ように見える)癖があるということは自分でも理解していますが,具体的にどの部分が飛躍しているかといったことは理解していません。だから,丁寧に説明しようと,どんどん情報を継ぎ足すということをします。そうすると説明がものすごく多くなります。

 そして,情報が錯そうしてくるのです。情報に埋もれて,どれが重要な情報なのかがわからない。こういうことが起こります。

 さらに,情報の繰り返しが起こります。こうなると,訳が分からなくなってきますよね。でも自分では理解してやっているのです。笑

 要は,情報の提示のしかたが良くないのです。情報を厳選する必要があるということです。

 

本当に時間が足らないのだろうか

 予備審査の準備の段階から,ずっと大変です。

 今までの僕なら,もっと時間があれば,と,こういう風なことを言っていたと思います。ストレートの学生と違って,十分な時間がないことは事実です。

 しかし,本当に時間がないのだろうかと思ってみました。

 おそらく,非効率なところがあるのです。上記の情報の出し方の問題にしても,本当は問題の本質を理解したうえでそれに対する対処ができれば,そこまで時間を必要としなくてもよかったはずなのです。

 今週は,木曜日の段階で,博士論文発表会のスライドに費やした時間は19時間です。社会人学生で19時間も費やしている時点で,時間がないというのはうそになるのかもしれません。時間は有限のものです。その中からこれだけの時間を捻出することができているのですから,時間がないことはないのです。

 問題なのは,限られた時間の中でやりくりするということです。

 そう思うと,博士論文本文に着手し始めた際には効率化するといったことを言っていましたが,また気づかない間に時間を無限に増やそうとするというような方向性に変わってきているのかもしれません。

 

では,どうするか

 見通しを持つことです。

 時間が限られている。だからこそ,少ない時間で修正をするために,これをしてこれをして,という明確な見通しをもつこと。

 そうすれば,多少,こうすればよいかなということがわかってくるのかなと思ってみました。

博士論文のスライドづくりの効率化ー時間がないー

 博士論文関係のスケジュールが予定通りに進んでいます。

 博士課程に在学して以来,常に時間が足らないと思ってきたんですが,本当に間に合うんだろうかというような感じになってきました。

 

1週間に20時間以内

 このところ,週あたり20時間ほど博士論文関係に費やしています。

 そこで,20時間以上やる,という達成目標ではなく,1週間に20時間で収めたいという抑制目標を立てました。勿論,やるべきことは全て終える前提です。

 平日には10時間取っています。残りの10時間は休日にやっています。時間は,これ以上増やせないところまで増やしています。

 

効率化するしかないースライドづくりの時間が足らないー

 この間,予備審査会が終わってからは基本的に修正の方向性を検討し,新たに加える章の中身を検討するということ,そして本申請がありましたので,本申請に向けた要旨の修正をしていました。ひとまず本申請が終わったので,予備審査会の時のスライドをベースに,土曜日から公聴会向けのスライドの修正を始めました。

 要旨については時間の都合上,,新しく加える章の中身を入れ込むことができていないので,修正が終わったわけではありません。

  1. スライドづくり
  2. スライドの原稿づくり
  3. スライドの論構成,論展開の確認
  4. 要旨の修正
  5. 外国語の文献を読む

 19日までにこれだけのことをやる必要があります。無理に近いと思います。

 どうにかして効率化するしか方法はありません。「これ,どうしよう?」とか考えている暇がありません。方法としては,迷うなら進める!迷っているところは飛ばす!それしかありません。大量の問題を短時間で解いてる,大学入試のようなイメージですね。

 1と2は省くことができないので,しいて言うならスライドの論構成や論展開の確認を,2の作業に組み込むしかありません。口に出してみて,おかしいところがないかをチェックします。しかし,この時にも「これ,どうしよう?」などと考えている暇はありません。4は優先順位的に後です。スライドがまず固まらないと。

 5はコツコツやるしかありません。

 思いつかない案は寝かすこと。これしかないですね。

博士論文,本格化。超マルチタスク状態

 7月上旬の状況についてです。

 今は博士論文の本審査会と公聴会に向けた準備を進めています。していることは,超マルチタスク状態です。一言で大変です。

 記録として日記に残します。

 

していること

 7月にすることは以下の通りです。

  • 一つ目にタイトルの案を考えること
  • 二つ目に博士論文の要旨を作ること
  • 三つ目に博士論文の本文を作ること
  • 四つ目に博士論文の公聴会で使うスライドを準備すること
  • 五つ目に新たに文献調査の章を作るための調査をすること

 この内,タイトル案については既に考えたので,今は博士論文要旨を作るということです。

 

自分の問題-論理の飛躍-

 予備審査会についてはかなりボロボロでした。その原因として,結局,自分の論理性に問題があるんですよね。

 情報の切り出し方が問題で、例えば結論に至るまでの考え方として1,2,3,4っていう筋道が立てられるとするならば,僕の情報の出し方というのは,1と4しか語ってないというような語り方になってるのです。スライドとして情報を切り出した時に,議論の飛躍が起こっているように見えるんです。

 僕の癖として,議論の飛躍を起こすまいと、さらに説明を加えようとするんです。でも、その説明の中に不要なものが入っています。例えば,1と4の間に2と3という説明があればいいだけなのにも関わらず,変に情報を加えようとして1と4の間に5とか6とか7とかいう,関係のないと言うと言い過ぎですが,不要な情報まで入り込むので,聞き手を余計に混乱させるということが起こっています。

時間がない!

 仕事をしながらしてるので,あまり時間を取ることもできないです。といっても,月あたり80時間~90時間ほど費やす日々が続いていますので,これでも全力です。時間に限りがあるので,思うように修正ができません。

 することもすごくあるので短い時間でなるべく最大限の成果を出すっていうことを意識して行かないと終わりそうになるような感じです。時間の限りがすごく見えているのでとても大変な状況です。そこに仕事も土日に入ってきたりしているので時間なんてありません。


今始まったことではないー社会人学生の宿命ー

 この状況というのは、考えようによっては今までもあった状況でした。決して今始まったことではありません。宿命ともいえるでしょう。

 特に投稿論文の時がそうでした。自分が一から十まで全部をしようとしすぎたが故に余分に時間をかけてしまったところがあります。社会人学生で博士課程に言っていると,時間が尋常でないほどに足りない状況は避けがたいと僕個人は思います。

 プラスな考え方をすれば,この博士論文の本文を作るという過程で無駄を省くということを自分が学習ですることができるという考え方もできます。

 

効率化することが常に課題

 方法の問題ですね。どれだけ効率的にできるかということが常に課題になってきます。

 例えば,受験勉強で言うならば,参考書を1ページから最後のページまで全部読み込んだ上で問題集をすれば,正答率は上がるかもしれません。

 ただそれは参考書を一から最後のページまで全部読まなければならないと言う,とても膨大な時間を必要としている作業を含むわけで、その参考書の中にも実は自分が理解している箇所というのはあるわけです。だからそこをまた一から勉強していくっていうことは実は非効率です。それよりも,問題練習を先にして分からなかった問題についてのみ参考書に戻って,

「あ,こういうことなんだ。」

 って納得する方法の方が,短い時間で多くの成果を出すという意味で効率的なんですよ。

 

 論文についてもそういうことが言えます。

 僕は,例えば「はじめに」のところから最後までっていう順序でやろうとするところがあります。そうすると,最初でつまずいてしまうと,そこで止まるんですよ。そうすると時間がなくなっていくので,後のところにも書ける時間が無くなり,結局出来は悪くなるしさらに非効率になるし,頭も回らなくなるしといった,非効率の循環が起こっていたところはあると思ってみました。

 

問題は自分の論理性

 結論としていうと自分の中での論理構成の組み立て方っていうのが上手じゃないということです。上手じゃないから,より説明しようとするんですが,そこにいらない情報が加わるから,余計にややこしくなってごっちゃになるんですよ。


予想はできていた

 7月がこういう状況になるっていう事は,ある意味,最初からある程度予想は出来てたんです。けど,ここまで大変だとは思ってなかったので,本当にやりきれるんだろうか・・・っていう気持ちになっています。

 こんなタイミングでなんで土日に仕事が入ってくるねんとか思ってしまうんですが,きっとそれって本当はマイナス思考になっているだけで,本当はマイナスな要素ばかりでもないとは思うんですよ。そういうことはわかってても,忙しさがものすごいので,自分の気持ちも慰めてられないというような感じです。

 

感じる博士号の重さ

 博士論文はやっぱり学位が学位なだけに,審査も厳しい。厳しいだけじゃなくって,その博士論文で発言することというのが,ものすごい重みを持ってるんだなっていうことが,今回の予備審査会からの一件でとても分かったような気がします。

 博士を名乗る以上は,やはりそこで述べることというのには論理性が求められるということなんだと思うんです。特に博士論文を見るのが自分の専門分野の方ばかりというわけではなく,分野が違えば使う用語も異なってきますし,似たような言葉で全く違う意味を表すと言ったことも,分野の壁を越えると起こってきます。そこを理解した上で論理的に話ができるようになること。博士課程というのはこういう訓練をするための学校(と言うかステップ)なんだっていうことを感じるようにはなりました。

 それほど重いのです。博士号は(そのわりに,取得してもあまり役に立たないというのはひどすぎる)。



 博士課程ってこんなに大変なんだっていうことをすごく実感する機会にもなっています。

 

修士とはレベルがはるかに違う

 修士課程の時はどうだったかって言うと,こんなに大変だった記憶がないんです。一応,形式的には修士論文要旨っていうのも作ってるし,事務手続きも博士ほど細くはないにしてもそれなりにはあったし。似たようなところは探せばあるんですが,要旨一つとってみてもこれだけ論理性の確認ということはしたことがないし,スライドで印象が決まってしまうのでスライドの中でいかに説明を短くしながらもその論理性は保つ大変さを実感するような作業まではしてなかった。修士と博士の違いというのはそこにある気がすごくしました。

 博士課程の大変さの具体例として,投稿論文が大変というのも一つにはあります。博士論文という学位論文の形にするということも,もう一つの対を成す大変さの一つです。そういう部分で修士とは差があるんだなっていうことは感じています。

 

この苦しみは誰にもわからない

 もう一つの悩みというのは,この状況を理解できる人が周りにほとんどいないということですね。

 ましてや社会人学生を博士課程でするっていう状況そのものが稀なんですよ。博士課程の中では社会人学生ってわりかしいるんです。ただそれは博士課程という箱の中だけを見た世界の話で,世間を見渡すと博士課程を経験してる人なんてほとんどいないです。

 だから,例えばこのくそ大変な時期に土日の仕事を振ってきたっていうことを職場に説明して,何か変えて欲しいみたいなことを求めるとしても,職場の人からするとそんな大変さもわからないんですよ。卒論の経験があればいいレベルの世界ですから。

 それに,頼んできた側の人からすればその人の立場というのもあるのです。やっぱり休みの日ですし,休日は休日として過ごしたいといった意思は誰でも当然働くんですよ。それで僕に振って来るって言うこと自体は,まぁ自然といえば自然なんですよ。休日出勤というのが良いか悪いかは別として。

 

 そうは言っても博士論文を書くっていう状況そのものに異常さがあるわけで,この状況で,この人は仕事が軽いのになんで自分はこんな重い仕事を持ってる状況に重ねて博士論文をやってるんだろっていう素朴な疑問は湧いてきますよね。

 ただそれを周りの人に説明したかって分からないんですよ。そこに「もやもや」がありますね。こういう状況は今年に限らず今までもありましたけど,今年の大変さが本当に尋常じゃないので,余計にそんなことを思います。

 

以上,近況でした。


7月の状況ー博士課程の重みと、自分の弱点ー【社会人学生 大学院 博士課程】

予備審査会を終えて感じる反省ー論理性ー

 予備審査会が先日,終わりました。

 記録として,書き記しておきます。

 

前日はリラックス

 前の日は仕事も半休をいただきました。

 今回は大学で開かれたので,ほぼ移動時間に費やしました。

 ホテルは今コロナショックでどこも安いので,いつもは頼めない高級ホテルにしました。笑 ビジネスホテルとはゆったり感が違いますね。さすが高級ホテルです。部屋が広いのもとても影響していると思います。前日まで詰めないのが良いと思いました

 

酷評から考えたポイント

 当日はなかなかの酷評でした。ここまで言われるか!?というくらいです。

 先生から教授会で指摘のあった内容についての報告があったのですが,落ち込むような内容でした。

 そこで重要だと思ったのは以下の4つです。

  • 論理性を重要視する
  • 言いすぎない(自分のデータ以上のことは絶対に言わない)
  • 情報を絞り込む
  • あきらめない

 あそこまで言われると人格否定されているような感じがしました。人格否定ではないんですが,気持ち的に。博士号を取得するにはこのような過程を経ないといけないということですね。

 具体的には以下に述べます。

 

情報を絞り込むこと

 発表会というのはスライドのみで話をします。論文と違って,スライドは情報が消えていきます。すると,忘れます。忘れられると,言っても言わなかったことと同じ状態になります。

 スライドが全てです。だから丁寧に全部説明しようとするんですけど,全部を30分に抑え込むことなど不可能なので,最低限必要な情報に絞り込むことが重要だということに気づきました。

 

言いすぎない

 博士論文は何よりも論理性を重要視するので,言い過ぎには要注意です。

 本当にそれは自分のデータから言えることなのか?

 つい言いたくなることも出てくるのですが,言い過ぎ内容にするコツや工夫が必要のように思いました。

 ただ,僕は先輩の博士論文を見てもこういうことはわからなかったです。自分がいざ躓いてみないと気づかないもので,今回こけたのも,裏を返せば自分が身をもって論理性の重要さを感じる経験が必要だったということです。

 

論理性重視

 上と重なりますが,博士論文の重要さはここです。

 論理の飛躍などご法度です。本当に自分のデータから言えることなのだろうか?と自問自答することも必要だなと思いました。

 そして,そのためには自分の業績を過小評価しないことも重要です。

 僕のように自分の業界のことをテーマにすると経験則という色眼鏡が入るので議論の飛躍には要注意です。

 

あきらめない

 結局,博士課程にいると躓くことが何度もあります。

 そこで諦めが出てくる人は,博士号は取れないと思います。

 最後まで決してあきらめないこと。そんな精神の強さが,研究には必要なのだと思いました。

 これらの経験を踏まえてこその博士号なのでしょう。

スライドのつくりかた

 博士論文の予備審査会用のスライドが,昨日完成しました。

 なかなか時間がかかったので,スライドの作り方を記録しておこうと思います。

 スライドを作る前に

 スライドの特徴は,論文と違って聞き手は情報を忘れていくので,情報を出す順番や情報の見せ方が重要です。図表を多めに使い,文字情報はなるべく少なくするのが良いです。

 そして編集ですが,パワーポイントの場合,デフォルトの型があると思いますが,僕はあれは使いません。タイトルもテキストボックスも図表も,全部「挿入」から自分で入れています。そして,一つのテキストボックスに入れる情報は1種類です。いろんな情報をたくさん入れないようにします。

 大雑把な構成も考えておくとよいと思います。投稿論文の場合,話す順番が自動的に決まってくるので問題にならないと思いますが,学位論文(卒論など)の場合は検討が必要だと思います。

 

テキストボックスに情報を入れてみよう

 テキストボックスに情報を入れていきます。この時,課題設定,方法,結果,考察と,一連のつながりをすべて別のテキストボックスに入れていくのがいいと思います。こうすれば,「考察に書いてるけど結果に出てこない」なんていうことがなくなります。

 先にも書きましたが,図表をなるべく使うのが良いです。文字は重要な情報と補足を書いておく程度に。

 

テキストボックスを並べ替えて,論理構成を考えよう

 情報を入れておいたテキストボックスを並べ替えて,スライドを一度完成させます。あとは,全体を見渡して,論理の飛躍がないか,構成はどうかといったことを考えていきます。最後に体裁を整えたら完成です。

 

意外と難しい

 こう書くと簡単なように見えますが,実際は難しいです。

 スライドは印象で見られるので,情報として欠けているものがあったり,あいまいな情報があったりすると,それだけで悪印象になります。これは正しいのか?といった質問が来るなど,飛んでくる質問が本来の内容にまでいかないことがあります。情報を明確に,鮮明にすることが重要だと思います。

 時間制限があるので,全ての情報を入れ込むことは基本的にできないと思います。情報の取捨選択が必要になってくると思いますが,取捨選択をする際にも「方法で言ってないのに結果では出てくる」なんていうことがないようにしましょう。

スライド作り終了、要旨と本文へ

スライド作りにようやく終わりの兆しが

 5月上旬の終わり頃からスライド作りを始めました。修正を重ねに重ね、ようやくスライドが完成しました。博士課程のレベルの高さをものすごく感じています。修士課程の頃とは比べものになりません。発表時間が長いので、用意する原稿、練習時間と全て長くなることも、ここまで時間を要した要因の一つです。

 

スライド作りは大変だった

 スライド作りは大変でした。

 修士課程の時のスライド作りはそこまで困った記憶がないので、当初はそこまで大変だとは思っていませんでした。しかし、修士課程の時のスライド作りが大変でないのは、そこに厳密な論理性を求められていないからなのだということを、今回知りました。知ったというか、厳密にいうと知っていたのですが、実感がなかったです。学会発表のスライドも、その日が終われば通り過ぎていくもの、といったやっつけ仕事的なところがありました。

 

スライド作りで論理性の確認

 博士論文の関係のスライド作りが大変なのは、スライド作りが論理性の確認という要素を含んでいるからです。

 第一に、議論するだけの情報が整えることです。スライドを作るときにテキストボックスを使うと思いますが、テキストボックスに書く情報の種類は基本的に一つ。それらが、課題設定→方法→結果→考察と言ったように、全てつながっていないといけません。どこかに欠けていると、それだけで論理性を失います。今まではスライド作りというと時間の制約もあるので多少ルーズになっていたのですが、それが許されないのです。今回のスライド作りを通して論理性の確認をする術を身につけることができたので、今後はスライドに込める論理性を高めつつ、最小限の時間でスライドを作ることができていくかと思っています。

 

研究とはなんたるかが分かったような気がした

 第二に、情報の明確さです。曖昧なところが残っていると、その曖昧さがそのまま疑念に繋がります。「この情報は本当に正しいのか」と言った疑念です。情報を明確にすること必要で、その明確さを担保するには、遡って方法を考えるとき、解析をするときにはすでに明確な情報になっていなければなりません。そして、その明確な情報を適切に自分が結びつける必要があります。論理の飛躍を起こしていると、明確な情報にはなりません。

 スライド作りが、議論を論理的に構成する技術をつけるための作業のような気がしました。だから、博士論文はただの「査読論文の集合体」ではないという所以なのでしょう。そして、それが研究には必要だということですね。

 

今後の予定

 予備審査会は来週です。すぐ審査会があるらしいので、緊張感が増してきました。

 準備する必要があるので、前日には大学に行っている必要がありそうです。あまり時間的猶予はありませんが、ひとまずスライド作りを終えたので一安心です。

 今後は、発表練習をすることと要旨作り、そして本文の修正に入ります。急ぐのは要旨作りです。学位の仮申請の時にいったん作成していますが、その後スライドの修正に伴って博士論文の構成も変更になったので、作り直す必要があります。本文は本格的な修正まですることは不可能だと思いますが、最低限、体裁を整える程度のことはする必要があります。

 明日はそれで終わると思いますが、仕事の方も現在スケジュール過多の状態なので、かなりきつい生活になります。大変さが増しすぎて、感覚が麻痺してきた気がします。

予備審査会に向けた準備

 6月上・中旬の,最近の状況について。
 6月に入ってからは学位の仮申請をしましたので,審査が本格的に動き始めています。予備審査会は,6月下旬です。

 

けっこう大変なスライドづくり

 仮提出を済ませたので、博士論文予備審査会の日程が決まりました。スケジュールとしてはかなりタイトになってきました。今はスライド作りに注力しています。スライドそのものは,6 月に入る前からスライド作りを始めています。副査の先生にも見ていただいたのですが、そこでご意見を頂いたので、それに伴って修正していました。

 先日も副査の先生にスライドを見ていただきました。今回は大幅な修正ではなかったので良かったですが,予備審査会まで残り10日もありませんので,これからスライドの修正と原稿の修正,それと要旨の作成を急がなければなりません。
 

 スライドも作り出すとなかなか大変です。卒論や修論と違うのは、中身の論理性もそうですが、スライドそのものの構成が論理的な構成になっているかということが見られるので見られるポイントがかなり細かいなという印象があります。

 

後から気づいたスライドづくりのコツ

 スライドを作ってみて後から気づいたことなんですが,スライドの作り方も,以前紹介した付箋を使った論理的な文章を書く方法と似ているなという気がしました。ここがもっと分かっていれば,おそらく効率的にスライドを作ることができたのだと思います。しかし,ここまでスライドの構成にこだわるのも初めてなので,今回は仕方がないかなとは思っています。

 

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付箋(ふせん)を使った論理的な文章、論文、作文の書き方ー論文でも作文でも書けるようになるー【博士課程 社会人学生】

カギを握る時間のやりくり

 仕事の方も大変になってきたので,時間のやりくりが本当に難しいです。
 博士論文にかける時間を単純に増やすという方法では自分が疲れてくるので,しんどくなってくると思っています。
 現にこの5月・6月と,博士論文関係のことにかける時間をだいぶ増やしているのです。そうすると休日が休日として取れなくなって気が休まらないということが起きてきました。だから,もう少しやることを細かく決めておいて短時間で済ませるという意識でやっていくことが大事なんじゃないかなと思い始めました。

 それで生まれた余裕の時間というのは他の事に使わないこと。これがポイントになる気がしました。効率化することによって生まれた時間を何もしない時間として活用することで結果として短時間にできる物事の量が増えて余裕な時間を生まれるということでバランスが取れていくような気がしました。

 

 ただこれからもっと大変になってくると思うと,なかなかハードです。